ナイキの創業者を知っているだろうか。

そう、フィル・ナイトだ。

そう、知らない人も多いはずだ。かくいう自分も知らなかった。というか、正直興味もなかった(ごめん)。自分にとって、ナイキは生まれた時からナイキだったので、すでにそこにあるもの。ブランドとして確立したものだと思っていたから。ふと、気になって調べてみるとフィルが自伝「SHOE DOG」を出しているので、買って読んでみた。SHOE DOGとは、日本語訳すると靴馬鹿野郎とでもいおうか。フィルは、マラソン選手をしており、靴に関してはこだわりが強かったのだ。

ナイキは創業してから46年。

実際、「ナイキ」が誕生したのは、1972年の事。それまでは、フィルが行っていたのは、スニーカーの「オニツカ」をアメリカで販売する一つの業者にすぎなかった。(フィルがオニツカとどのように契約をし、どのようなトラブルがあったのか、自伝に書いているのでぜひ見てほしい)いろいろトラブルもあり「仕方なし」にブランドを立ち上げる事になった。そう、なんでもいいから自分たちが売れる靴を作るしかなかったのだ。

「ナイキ」というネーミングをフィルは好きじゃなかった

実は、「ナイキ」というネーミングを思いついたのはフィル自身ではなかった。フィルが一番始めに雇った「ジョンソン」が思いついたのだ。ジョンソンが夢の中でひらめいたというなんとも、おかしな話だ。始めは気に入ってなかったフィルも20代前半で世界旅行した時に思い出したギリシャの勝利の女神の名前と同じという事で納得した。(ちなみに、フィルはディメンションシックスという名前を考えていた、ありがとうジョンソン)。

ロゴは、35ドルで女学生がデザイン?

当時、オニツカとのトラブルにより(日本人のキタミという男がいて、そいつがなんとも鼻につきむかつくので是非注目してほしい)仕方なくロゴを制作するのだが、フィルは思い出したようにポートランドの州立大学にいた「キャロライン・デヴィッドソン」を思い出し、彼女に無茶振りをする。いろいろ提案してくれたものの中から、「swoosh」を選んだ。それも自信なさげに。時間がないからと決まったロゴは今ではど定番になっているが、当時をふりかえると、なんとも偶然の産物でできた、ロゴだ。妙に親近感がわく。それが、47年経ってもほとんど変わっていないのは、ナイキの精神が変わっていない、のと、キャロラインが「偶然にも」ぴったりなロゴを提案していたからだ。

ブランドに大切なもの

ナイキを立ち上げてから、破竹の勢いにも見えるが、裏では現金がほとんどなかったりと、いつなくなってもおかしくない会社だった。とはいえ、ファンも増え、ナイキを着るスーパースターもでてきて(ジョーダンは、ナイキが上場した後の1984年頃から)、ナイキが世の中になくてはならない存在になっていった。何度も言うが本を見ている限り決して順風満帆ではないし、フィルがとんでもなく優秀であったわけではない。しかし、フィルは最初に雇ったジョンソン始め、何人もの優秀な(アホな)仲間に支えられ、ナイキという看板を大きくしていった。

フィルの頑固さ

内心びびったとしても決して揺るがないものがあったし、そのおかげでナイキは大きくなっていったと思う。例えば、初めてオニツカと契約を勝ち取った時にも会社など創っていないのに創っているといい(実際に、オニツカ社長が訪問した時、あまりのボロさにびびっていた)、オニツカとの契約を破断されそうな時にも、日本に乗り込み契約延長を勝ち取り、ナイキをオニツカに内緒で創ったり。大胆にも行動し、間違いを起こしながらも絶対に歩みを止めずに進む行動力は、どの経営者も学ぶべきではないかと思う。フィルは選手としては挫折をしていて、もう逃げたくないという気持ちも大きかったのだと思う。

レブロンがフィルに渡したもの

ナイキが誕生したのは1972年。
レブロンは、「チャンスをくれた感謝をこめて」を彫られた1972年製ロレックスをフィルにプレゼントした。そこでフィルが述べた事を引用したい。

例によって、私は何も言わなかった。どう言っていいかわからなかったのだ。
たいしたチャンスを与えたわけではない。彼らが自分の力で確実なものへ近づいたのだ。だが私たちが人々にチャンスを与えるという点では、彼の言う通りだ。ナイキはまさにそんな場と言ってもいい。

このやりとりを読んで、目頭が熱くなった。そしてフィルはこれをビジネスなどと陳腐な言葉で片付ける事はない。「SHOE DOG」が熱い思いをいただき続けたからこそ、ナイキがここまで大きくなったのだと思う。日本でも「SHOE DOG」が大きな事を成し遂げる時代がきっとくる。

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