credit: Sports Illustrated

プロフェッサーという名前をご存知だろうか。
ストリートバスケットボールを好きな人なら一度は聞いたことがあると思う。AND1という伝説的なバスケブランドがあり、彼らブランドはストリートバスケットボーラーをプロモーターとして起用し、ブランドを広めてきた。主に黒人の選手が多く、その中でポツンと白人がいた。それが、プロフェッサーだ。

ローカルの高校まで試合を見に行ったことがある。

自分がアメリカにいるときにAND1が来るということで、確か$30くらい払って見に行ったことがある。別に大きなイベントでもなく高校で練習試合をやる程度の感じで観覧者もほとんどが黒人で、日本人10人くらいで行って、結構怖い思いをした。まぁ、いじられるくらいで別に何も問題なかったけど。それと同じくらいにプロフェッサーも浮いていた。当時、すでに彼は有名人だったけど、身長も普通だし、筋力があるわけでもない。どちらかというとひょろひょろな彼は、自分でも大丈夫かと思うくらいだ。

5時に起きて、1,000本のシュートを打つ

コミュニティカレッジに入ったプロフェッサーは5時に起きて1,000本のシュート決めるまで朝練し、授業が終わった後、ゲーム、トレーング、まだゲームと生活を繰り返した。そこまで自分を犠牲にし、研鑽できるはやっぱりすげーな、と思います。カイリーも言ってたけど普通に朝めちゃくちゃ早起きなんですよね。黒人なんて才能であそこまで活躍できているんでしょと思ったけど、ここまでやっているんだよな、と思うと才能で片付けるのはあまりにも失礼だなと思います。プロフェッサーもそう。

15歳の時、AND1のミックステープに出会う

当時、AND1は選手を抱えて全国ツアーをやっていて、それがTVシリーズ化されていたそう。プロフェッサーもファンで、ホットソースとかが好きみたいだ。彼らのプレーを見に地元のオレゴンにAND1のゲームを見に行くと、ローカルの選手のトライアウトが行われているとのことで、プロフェッサーも参加した。AND1の選手たちはプロフェッサーのハンドリングスキルに魅了されて、その日のうちにツアーに参加しないかと言われた。

マディソンスクエアガーデンでクラッチショットを決め、優勝、AND1に加入

ツアーはトライオフみたいなもので、どんどんメンバーが減らされていく。プロフェッサーはアイドル達とプレイをするのが楽しく、とにかくプレーを楽しんだ。結果、ツアー最後のマディソンスクエアガーデンの決勝で、プロフェッサーは遠い位置からの3Pを決めて、チームを勝利に導いた。結果、プロフェッサーはAND1と契約を結び、プロとしてのキャリアをスタートさせた。

NBAを目指すだけが正解ではない

もちろん、自分もこの記事書いているのはいつの日か日本人がNBAにたつことが普通になるのを夢見て、その助けになればと思い書いているが、プロフェッサーのように身長がないから、などと自分の力で及ばない力が作用してしまうことも人生の中でいくらでもある。それでも彼は諦めずにとにかく真摯にバスケと向き合った結果、自分のキャリアがひらけた。もちろん今の日本でバスケで食べていくのは大変だし、アメリカならではの環境はあると思うが、自分で考えて行動をし続けた先に道が見つかるということプロフェッサーは証明してくれていると思う。むしろ、小さいハンドリングえぐい日本人とか誰かの目に留まれば行けちゃうこともある気がする。英語とかもよくわかんねーけど、黒人をアンクルブレークしまくるとか面白すぎる。

AND1以降の話とかは、こちらをどうぞ!


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