ストリートバスケットボール界の中でも数少ない白人プレイヤーとして名を馳せた「プロフェッサー(The Professor)」の生き様が彼自身の言葉で語られた栄光の裏側には努力と苦労があったのでぜひ紹介したいと思います。

今、必要とされていなくても諦めなければ必ず道は開く

高校の頃、出場機会を求めて転向までしたプロフェッサーは最後のキャリアで22得点7アシストのシーズンを過ごし、全国2位まで上り詰めた。大学からの誘いがあると思っていたが、結果は0で、父親の経営するジュエリーストアにたまたま結婚指輪を買いに来たローカルのコミュニティカレッジのバスケヘッドコーチに父が頼み込んで最後の最後の選手として押し込んでくれた。それはAND1時代、今のキャリアを築くことなど誰がその時わかっただろうか。高校からAND1までのキャリアはこちらの記事でどうぞ!

晴れて、AND1とのプロ契約を結んだプロフェッサー、道は安泰だと思えたが…

6シーズンをAND1で過ごす

2003-2008年の6年のシーズンをAND1で過ごした彼は一躍有名人になった。その間ももちろん、NBAや別のリーグも考えたが結果的にはストリートボールの道を選ん出そう。やはりNBAの道はかなり厳しい道だとプロフェッサー自身も言っている。2009年以降もAND1と契約更新できると思っていたプロフェッサー(他の選手も)だが、AND1のオーナーが変わったのもあり、ストリートボーラーの起用はしないということになってしまった。

自分のユニフォームを売って生活を稼ぐ

契約更新をわかった時、強制的に次のフェーズに移ったプロフェッサーは、その準備ができていなかった。バンクには$200しか入っていなかった。自分のクローゼットにあった自分のAND1のユニフォーム75着をebayで匿名で売って、なんとか生活費を稼いだ。そして、クリニックやたまに呼ばれるゲームなどでなんとか乗り越えた。この時、結婚してたら中々詰むだろうな…

2013年、スパイダーマンバスケットボールの誕生

当時、YouTubeで動画をあげていたが、もっとメインストリームに乗っかることができないかと考えた。そこで「コスプレ+バスケットボール」の組み合わせを思いついた。スパイダーマンだ。プロフェッサーはスパイダーマンに変装し、コートに出かけ何人か相手にし動画を撮影した。自宅に戻り、動画を編集し、深夜に動画をYouTubeにアップした。朝起きると、とんでも無いことが起きた。

300万回再生…?

1週間後には700万回再生され(現在は、3500万回再生)、購読者も50万人を超えたそう。スキルが大幅に変わったわけじゃ無い。ただ、わかりやすくなっただけだ。プロフェッサーがバスケする<スパイダーマンがえぐいハンドリングで一般人を小馬鹿にする動画の方がキャッチーだ。こちらはシリーズ化もされているので英語の勉強にもなるかも。

侍バスケットマンなどどうですか?もしくは忍者バスケットマン

日本人で、コスプレやってLA、NYあたりのストリートコートでえぐいハンドリングやるのはどうでしょうか?結構話題にはなりそうな気がする。

最後にこんなことを述べている。

Basketball allow me to live the dream that I never knew I had you know when I was little I was aim to be an NBA player, but instead I became a global basketball entertainer and I realized that’s actually my colleague and it was so much of fit for me.

今、バスケットボールエンターテイナーとして、全世界を駆け回っているNBA選手を目指していた頃には描けなかったような道を進むことができ、これが自分の天職だと胸を張って言える。ー プロフェッサー

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こちらはTEDでプロフェッサーが登壇したなどから参考にしました。ぜひ、見て見てください。


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